豊国草履伝承館

豊国草履伝承館-草履伝承の取り組み-

軽部草履株式会社敷地内にある豊国草履伝承館。

-山形草履の始まり-

山形草履の歴史は200年以上前、江戸時代後期まで遡ります。
現在の西村山郡一帯は稲作農家がほとんどであり、農家は雪に閉ざされる冬の間、貧しい生活に耐えるしかありませんでした。
現在の河北町谷地に生まれた田宮五右衛門は他の産地に学び、農家の副収入源として山形の稲を使った草履作りを広めます。
しかし、当時の草履作りは農家の仕事ではなく、技術を伝えようとする田宮五右衛門は頭を悩ませました。

-日本一の山形草履-

田宮五右衛門の熱心な説得により、農家の間で草履編みが広まると山形草履の生産数は他の3大産地であった三重・奈良・静岡を抜いて日本一になりました。当時、山形の農家の嫁は一日に草履を10足編めないと一人前ではないと言われたほどでした。

-第二次世界大戦の始まり-

第二次世界大戦が始まると、農家の若い男性が徴兵されたため、女性だけでは大規模な稲作が出来ずに草履の材料となる稲藁の収穫量が激減することになります。また、当時草履の材料として主流だった「豊国」は面積辺りの米の収穫量が少なかったため、食糧増産に反するとして作付け面積は更に激減することとなりました。

-戦後の草履文化-

終戦を迎えると、日本の生活様式は洋式に変わり、最盛期200件以上あった草履業者はその殆どがニット産業やスリッパ産業に転換していく事になりました。現在、手編み草履の生産を行う事業者はわずかで、軽部草履株式会社はその95%以上を担っています。
生活様式に変化で草履は一般家庭では殆ど見られることは無くなりましたが、現在でも草履を必要とする伝統芸能や時代劇などが数多くあります。軽部草履株式会社は日本の草履文化を次世代に繋ぐため、後継者育成に力を入れております。

-豊国草履伝承館-

豊国草履伝承館では毎年冬期間、草履編み技術の伝承者である職人さんを招いて講習会を開催しております。講師である田川恒子さんは、草履編みから40年以上離れていましたが、軽部草履からの呼びかけに応え、後継者育成のために再び草履編みに携っていただきました。